破産して自殺した3人の天才相場師|信用取引の悲惨な末路

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破産して自殺した3人の天才相場師|信用取引の悲惨な末路

うましです。利益が出ている時には本当に舞い上がってしまう株の『信用取引』。僕自身、信用取引でだいぶ痛い目にあってきました。何度か本当に破産しかけたこともあります。

「信用取引はやめた方が良い」と説教じみたことを言うつもりは、もちろんありません。しかし、今回は相場で大損し、最後は自殺してしまった3人の大物相場師をご紹介させて頂きます。何か感じてもらえるとありがたいです。



太田収

太田収は、東京帝国大学の法学部を卒業した日本屈指のエリート中のエリートでした。しかし、官僚などには全く興味がなく、相場の世界へ飛び込み、最後は山一證券の社長にまでなった男です。当時は社長が自分で相場を張ることも珍しくない時代でした。

彼は大成功して『兜町の飛将軍』と呼ばれるほど有名になります。

ある時、彼は大勝負に出ます。鐘紡株への投資でした。しかし、彼の予想は大きく外れ、鐘紡株は大暴落。太田収は大損してしまいます。

太田収は、会社に損害をかけた責任をとって辞表を提出。そして、青酸カリを飲み自殺しました。残された遺書には取引相手、会社、そして、母親への謝罪が書かれていたそうです。

彼の葬式には彼と相場で対決したライバルをはじめ多くの相場師が参列したそうです。

岩本栄之助

岩本栄之助は、1906年に家業を継いで株式仲買商になり、日露戦争の過熱した相場、その次に来る下落相場で大成功しました。彼は仲間が大損しそうなときには手助けをしたこともあり、周囲からはとても人望がありました。

彼は私財100万円(現在の50億円程度)を寄付し、それを財源に建築されたのが大阪中之島のシンボルと呼ばれる『中央公会堂』です。そんな人徳があった彼でしたが、命運は突然尽きてしまいます。

第一次世界大戦も終盤の1916年。株式市場は狂ったように上昇を続けていました。

(株価はきっと暴落するだろう)

こんな暴騰がいつまでも続くわけがないと岩本栄之助は全財産で売りポジションを張ります。しかし、彼は大きくタイミングを誤ってしまいました。その後も大暴騰を続けた相場に飲み込まれてしまい、彼は大損してしまいます。

「その秋をまたで散りゆく紅葉かな」

この歌を残して、岩本栄之助は自分ののどをピストルで撃ち抜き、5日間苦しんだ末に死去。39歳という若さでこの世を去りました。

ジェシー・リバモア

世界恐慌の引き金になった『暗黒の木曜日』と後世に呼ばれる1929年10月24日。ジェシー・リバモアは大量の売りポジションを持っていました。彼はまずは大暴落で利益を出し、さらに翌日に強烈な買戻しを行い、リバウンドでも利益を出しました。

リバモアがこの暴落とリバウンドだけで出した利益は1億ドル(現在の4000億円程度)とも言われています。

この出来事をきっかけにリバモアは「ウォール街のグレートベア」と呼ばれるようになりました。『ベア』が売りポジションを意味するためです。

何度も巨額の利益を出した彼でしたが、晩年は激しいうつ状態になってしまいます。リバモア自身が女性に奔放であったため、家庭が崩壊したストレスが原因だったと言われています。1934年3月5日にはなんと4度目の破産。

そして、1940年11月28日。彼はホテルの一室に遺書を残し、ピストルを自分の頭の後ろに当てると引き金を引いて自殺しました。地位、名声、富を手にしたリバモアでさえも最後は自殺してしまったんです。

相場師たちが教えてくれること

株式投資をしていて、すごく利益が出ると

「自分は天才だ。センスがある」

そんなふうに勘違いする人たちが大勢います。僕もそうでした。しかし、天才と呼ばれた投資家たちの中にはこのように悲惨な末路を迎えた人たちも少なくありません。今回は3人をご紹介させて頂きましたが、その中でも絶大な知名度と人気を誇るのはやはりジェシー・リバモアでしょう。

彼の生涯を知ると、金があれば幸せというのが成り立たないんだなと痛感せざる得ません。彼の生涯を知るとお金があっても幸せというわけではないという『はかなさ』を教えてくれます。

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