派遣切りが不安だった派遣社員の転機|派遣の末路は悲惨
涼太さん(仮名:23歳)
「あの時、決断して良かったです。派遣は不安定ですから」
僕は大学受験に失敗したんです。でも、予備校に通うのもめんどくさいと思って働くことにしました。世の中の仕組みとかも全然分かっていませんでしたので、とりあえず軽い気持ちで派遣会社に登録したんです。すぐに派遣先は決まり、機械で有名な大企業の『Y』に配属されました。
僕は組み立てラインに配置され、同じ部分のねじを4個だけ締め付ける作業を担当しました。ねじを4個締めるだけなんて誰でもできると思いますよね?しかし、これが問題なんです。
単純作業は想像以上に苦痛でした
作業自体は10分もあれば、誰でも覚えるような簡単なものですが、毎日ねじを4個締めるだけ。それを何百回、何千回も毎日繰り返します。やりがいもありません。時間が過ぎるのが恐ろしいほど遅いんです。
(仕事なんてこんなもの)
僕は自分に言い聞かせていました。しかし、厳しい現実がおそってきます。僕はY社の別の部署に配置されることになりました。新しい部署は『塗装ライン』です。この塗装ラインの何が辛いかというと
「シンナーです」
学校で「シンナーは絶対にダメ」と教育されますよね。あのシンナーを日常的に使うんですよ。きれいに塗装するために適したシンナーを人が混ぜる必要があるんです。この塗装ラインに配属された初日、僕は少しシンナーを吸っただけでクラクラしてしまいました。
マスクはしますが、やはり多少は吸ってしまいます。危険手当が「毎月3,000円」支給されました。
(シンナーを吸って3,000円か)
僕は自分の健康を3,000円で売るということに違和感を感じました。
もちろん、誰かがしないといけない大切な仕事であることは分かります。ただ、この仕事は「絶対にしたくない」と思う仕事でした。でも、派遣は立場が弱いので「嫌だ。こんな仕事はしたくない」ということはできません。僕は塗装の仕事を続けました。
きつくて人が嫌がる仕事でも、まじめにやっていれば、派遣切りにあうこともなく、ずっと働くことはできるだろうと考えていたんです。しかし、その考えは甘かったです。甘すぎましたね。
やはり、派遣は悲惨です。結局は道は決まっているんですよ。