東大卒なのにバカで無能の社会不適合者で使えないと言われた男
雅史さん(仮名:28歳)
「高学歴が重圧になることもあるんだ」
僕は3年前まで日本を代表する総合商社で勤務していたんだよ。そこで「社会不適合者」のような烙印(らくいん)を押されてしまうなんてね。振り返ると僕の人生は勉強、勉強、勉強の人生だった。
僕の父はK大、母はW大でどちらも日本を代表する私立大卒なんです。どちらもすごいんだけど、やはり日本トップは「東京大学」ですから2人とも東大に対して「あこがれ」があったんです。だから僕に「自分達の夢を叶えて欲しい」という願いがあった。両親は僕が幼稚園の時から毎日のように
「お前は絶対に東大に行くんだ」
そう言っていたよ。僕はたしかに勉強は出来た方だと思う。母が「知育教育」に熱心だったからその影響もあると思うけどね。幼稚園の頃から英語や算数は毎日3時間くらいは勉強していたよ。でも僕は不思議なことにそれらは苦痛ではなかった。それが僕にとってごく「日常」だったからね。
僕は小学校に入学すると休み時間も母から指示された課題を黙々としていたよ。同級生が僕に「あのお笑い芸人おもしろいよな」「あのゲームやった?」って話かけて来ても僕は何も答えられなかった。両親からはテレビを見たり、ネット動画を見たり、ゲームをすることを禁止させられていたから同級生の話題に全くついて行けなかった。だから僕に付けられたあだ名は「がり勉メガネ」。僕は人付き合いが苦手で運動音痴だったこともあってクラスメイトからは「キモイ」と言われて避けられていた。
しかし、友達ゼロの寂しくて辛い小学校時代も一時的なものさ。僕は兵庫県にある日本屈指の私立の中高一貫校に合格をした。母は涙を流して喜んでくれたし父は「良くやった!」と誇らしげだった。僕は正直に言うとうれしいというよりも「ほっとした」という感じ。僕はいつしか自分の感情ではなく両親の期待に応えることだけを気にして生きるようになっていた。
中学や高校でも僕はとにかく勉強に明け暮れていた。元々、交友関係を築くのが苦手な僕は「同級生は敵」だとすら思っていたからね。実際にこいつらとは「東大」という狭き門を競い合うことになるんだから。そして努力が実って僕は東大の法学部、すなわち日本の大学の文系最高峰の学部に合格することができたんだ。
でも、ここが僕の人生の「ゴール」だったように思う。僕が生まれてからの目標というよりも「使命」は両親の夢である「東大合格」だけだった。今まで両親の指示通りに生きてきた僕は東大に合格してから生きていく目標を完全に失い、どう生きていいかが分からなかったんだ。東大に入ってから感じたのは意外にも勉強だけではなくスポーツや音楽などの趣味などの「生きがい」を持ってイキイキとしている同級生が多かったんだ。僕みたいな「がり勉」もいたのは事実だけど大学時代に仲間を作ったり大学生活を楽しんでいたやつは多かった。まあ僕はそんなやつらからは相手にもされなかったけどね。そして、僕は東大の法学部を卒業し日本を代表する総合商社に入社したけどここで現実の厳しさを知ることになった。