元ASAYAN出演者のアーティストの売れなかった末路
涼子は子供の頃から歌の才能があった。そのことには本人よりも涼子の母が気づいていた。さらに涼子は誰が見てもかわいらしく容姿にも恵まれ「近所で評判のかわいい女の子」だった。
しかしある時、涼子の人生に大きな転機が訪れる。
なんと涼子は中学3年生の時に、某有名オーディション番組(ASA〇AN)に出演。このオーディション番組は今でも活躍する男性R&Bデュオや一世を風靡したアイドルグループを輩出するなど国民的な人気番組で、涼子はこの番組に出演したことにより地元ではスーパースターのような扱いを受けるようになった。
多感な中学生時代に周囲から特別扱いを受けてチヤホヤされる涼子。それが涼子を自信家、言いかえると「自信過剰」な性格に作り上げていった。しかし、涼子本人だけではない。
涼子本人以上に自信をつけていったのは実は涼子の母だった。アーティストとして成長していく娘。母にとって涼子の音楽活動が人生の最優先になった。
普通高校に進学した涼子は特別目立った。なぜなら、校則が厳しい公立高校なのに1人だけ茶髪だからだ。しかし、学校の先生も注意ができない。注意をすると母が学校に出て行って
「うちの涼子は国民的なスターになる」
「今は1人1人の価値観を大事にする時代だ」
そう先生たちを説得する。もう涼子に対しては誰も注意ができなかった。授業中も涼子の自信過剰な部分は出てくる。音楽の授業中、先生が発声の指導をしても
「ボイトレの先生の指導と違う」
体育のダンスの授業では
「振付がダサいから私は踊らない」
などと発言することもあった。もう誰も周囲の大人が涼子を注意できない状況だった。
そして、涼子が高校3年生の夏。ある有名音楽プロデューサー主催のオーディションで2万人の中から涼子はなんと最終選考の7人の中に残る。
残念ながら最終選考で落選してしまうが、この最終選考の落選者を組み合わせるとクオリティの高いダンスボーカルユニットが結成できるのではないか?と話が出て、涼子は高校在学中に本格派ダンスボーカルユニット「START(仮名)」のメンバーに選出される。
このグループ名は全員の名前の頭文字を1文字ずつ取って組み合わせたものだった。もちろん、涼子の母が飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
高校卒業後に涼子は上京。数か月のレッスンを受けた後、19歳の時にアルバムCD『MOVEMENT(仮名)』でメジャーデビューしそのまま全国ツアー。その数か月後、STARTのセカンドシングルがドラマの主題歌に決定。
涼子はアーティストとしてとても華やかなスタートを切った。しかし、次第に涼子のキャリアに暗雲が立ち込める。